Galant GTO Sports Kits
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コルトスピード


現在の三菱自動車用総合的スポーツパーツブランド「ラリーアート」の前身であり、
往年の三菱車用スポーツパーツを発売していたブランド。全盛期に数多くの優勝経験の輝かしい歴史を持つ


1966年

COLT SPEEDの名が刻まれた三菱初のフォーミュラコルトF3A

1966年に三菱初のフォーミュラマシン「コルトF3A」に搭載された998ccのR28Kエンジンは
コルト1000のKE43型OHVエンジンをベースに自社内でチューンさせたものを
「コルトスピード」と命名し完成、レースに使われたのが始まり。

このエンジンはソレックス40PHH型キャブレターを2連装し8000回転で85馬力を達成。
66年第3回日本グランプリのエキジビジョンレースで優勝、翌67年もクラス1優勝を飾る。


1967年

コルト フォーミュラ F2A

67年にはF2マシーンのコルトF2Aが完成。搭載された1600ccのR46Kエンジンは
コルト1500SS用KE45SSエンジンをベースとしていた。
998ccのF3Aと共に第4回日本GPに登場し、F2初参加にして総合優勝を飾った。


1968-69年

コルト1500スーパースポーツのOHVエンジン(KE45SS)

三菱量産市販車初になる本格的スポーツモデルがこの年に登場。
標準でSUツインキャブを装着し、10.0の高圧縮比によって85馬力を発生。
それをさらに競技者向けにチューンパーツを純正部品扱いとして
コルト1100F-SS向けも併せ、足回りを含めた総合的スポーツパーツを発売してゆく。

この年にはギアトレーン駆動のDOHC16バルブにフューエルインジェクションの1600cc
R39エンジンが完成。圧縮12.5、220馬力を発揮。F2Aから発展したコルトF2Bに搭載され
翌69年にはコルトF2Cに発展。


1970年

1970年4月1日。
4G3系サターンエンジン用にGTOのエンジンベースであるコルトギャラン向けにリリースされ
4G32GSより15パーセントアップのライトチューンAキットと30パーセントアップのBキット発売。
それぞれセレクトパーツと組合せて使用し、初級者からプロユース迄をフルカバーしていた。


GTO発売と同時に専用スポーツキットの開発も進められた。

レースシーンではコルトF2Cからシャシを一新したコルトF2Dが登場。
ボディサイドにラジエターを配置したフルカウルエアロボディーであった。


1971年

第4回東京レーシングカーショーに出品されたギャランGTO-MRレーシング

ギャランGTOにも専用アクリル窓やFRP製軽量パーツを各種発表。


そしてレースシーンでは・・・
1600ccのR39エンジンから発展2000になったR39Bエンジンが71年に登場。
新F2ルール適合車で、名称はコルトF2DからコルトF2000となる。
軽量化も徹底し各部にマグネシウム合金を採用、125kgの軽量で9000回転、280馬力を発生。

この年の日本GPでは圧倒的な強さを見せて総合優勝を飾る。


初期はSATURNの文字に黒結晶塗装のカムカバー



中期はRACING-SATURNの文字になり


後期はASTRON 2000のプレートを上に貼り、R39BII型へ発展。
最終的には9000回転で約300馬力を発生した。
ボディスタイルがフォーミュラからスポーツカースタイルに変更する頃には
F2000ボディから他社のボディに載せられ、70年代中盤頃迄
レース関係者に一部レンタルの形を採りながらもエンジンは使用された。

レースシーンではコルトF2000が最後となる。


1972年

サザンクロスラリーにギャランGTO17X改で臨む
No.9 D.Stewart(AUS)

4G32GS車から45パーセントものパワーアップを達成したC-IIキットを発売。
ロングストロークながらも8000回転で148馬力を発生する。

この時AキットBキットは「CI-A」「CI-B」と改名、3タイプとなる。
構成は、CI-BにはCI-Aを含み、C-IIにはCI-A、Bを含んでいた。
C-IIに続く物としてGTO17X、4G35エンジン専用に「C-IIIキット」を製作。
165馬力を発生しサザンクロスラリーに出場したが、市販はされなかった様子。

ラリーシーンではギャラン16L-GSが第7回サザンクロスラリーで総合優勝。


1973年

ランサーGSR向けにさらにパワーアップされた4G32C-II改エンジン

ランサー(A73)が登場すると、ギャランよりもさらに軽量なボディーで大活躍。
第8回サザンクロスラリー初参加にして総合1-4位独占の快挙。
一般のスポーツキット装着車もさらに増えて行き全盛期となりました。

最終的にはヘッド各部に手が入ったC-II改と呼ばれるキットも登場。
165馬力オーバーを発生、別名「RACING SATURN」の名称を持つ。

この年発売された市販車用4G5系列アストロン2000エンジンへの
コルトスピードスポーツキットは未発表で存在しません。


1974-77年

コルトランサー1600GSL(A73)4ドアサファリラリー総合優勝車
No.46 Joginder Singh(KNY)

軽量ボディのランサーに搭載された4G32レーシングサターンはその後も快進撃は続き
第9・10回サザンクロスラリー総合優勝し、第11回ではついにV5を達成。
         74年の第22回サファリラリーでは、46番目の不利なスタートながら総合優勝の快挙。
第22・23・24回と優勝し、世界に「ラリーの三菱」を印象づけた。
その後77年迄ラリー活動は続いたがオイルショックや公害問題、
昭和53年(1978)に始まる排気ガス規制の影響で
三菱ワークスファクトリーチームがラリー活動を中止すると販売規模も減少。
初代ミラージュ、A70ランサー系4G32(G32B)スポーツキットを最後に幕を閉じる。



そして、コルトスピードの名が無くなったのだが・・・






・・・1981年

ヨーロッパでランサー2000TURBO(A176A)登場。三菱ワークスが海外ラリー活動再開
「チームラリーアート」誕生


1984年-

スタリオン4WDラリーをひっさげて事実上の後継ブランド
メーカー直系のラリーアート社(RALLI//ART)が発足。

80-90年代 パジェロ4WDでのパリダカールレース優勝
2000年代 WRCランサー優勝等輝かしい歴史を刻むが
2010年 スポーツ活動縮小の為ラリーアート解散となってしまった・・・

 
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